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昔からセカンドドライバーに心惹かれる自分がいるんです。まさに鉄人職人パトレーゼさんでした!
83年のイモラが相当堪えたみたいな事を聞いた事があります終盤、フェラーリのタンベイをパスしてトップに立ったのも束の間のクラッシュ首位を奪還したフェラーリには拍手喝采が巻き起こった一方で、同じく母国を走るパトレーゼには嘲笑の嵐だったそうです母国でこれはきついですよ…
大好きなパトレーゼさんの動画ありがとうございました!私はパトレーゼさんのファンになったのは1987年のメキシコグランプリで3位表彰台に上がったレースからです。その年の最終戦からウィリアムズに移籍し毎年活躍する姿を見続けられて幸せでした、しかし改めて日本でテレビ中継が始まる以前は苦難の連続だったのも知ることが出来てよかった。本当にありがとうございました!パトレーゼさんは私の永遠のヒーローです!
パトレーゼのヘルメットデザインは、秀逸!
当時の視聴者ウケする派手さはなかったが(セナとかマンセルみたいな物凄いスター性、カリスマ性)、いいドライバーでした。91年のメキシコがよかったですよ私はやはり。
パトレーゼは1987年最終戦鈴鹿でケガをしたマンセルの代わりにウィリアムズFW11B・ホンダに乗りましたね。スキーと電車が大好きなイタリア人F1レーサーでした。
毎度です。パトレーゼを取り上げて頂きありがとうございます(*^^*)二百戦錬磨の鉄人パトレーゼ、古舘語録の中でも良く使われたフレーズと記憶しています。どこか日本人の琴線に触れる、味のある古き良き職人ドライバーでした。
キター!!パトレーゼ!出走回数257!一回も予選落ちがないとか何気にズゴイ!ウィリアムズ時代はチームの為に走り、広報のアン・ブラッドショーだったかな?雑誌の取材で素敵なドライバーは?と聞かれてリカルド パトレーゼと答えてた記事があったな
ドライバー中心の、レースストーリーは本来のF1の姿であり、楽しめました。また続編の投稿を、お願いします。これからも、頑張って下さい!
まだTBSでF1放送していた頃の82年モナコ。大荒れのレース終盤を制したパトレーゼの記憶が甦ります。
90年サンマリノでの久々の優勝はテレビで見ていて感動した。
初めて拝見しました!最も敬愛するF1ドライバーのパトレーゼさんをこんなに特集してくださるなんて感無量です!リアル「オレ様列伝」を見ているようでした(^^)。92年日本GPの表彰台は、いぶし銀ドライバー好きの私にとっては脳汁出まくりの興奮度です♪。3人とも名セカンドドライバーだし、赤・青・黄でサンバルカンみたいで笑、もう最高でした❕
おっご覧いただきありがとうございます😊サンバルカンとは懐かしいですな!
動画ありがとうございます✨イモラの件、本当に気の毒としか言いようがないですね。(ハントにはがっかり)それでもめげなかったメンタルの強さには尊敬します。鉄人と言われる所以はここにもあるんですね。89年のセナが急にお子ちゃまに見えてきた。F1を見始めた90年、セナプロにも惹かれましたが何故か気になるブーツェン、パトレーゼのウィリアムズコンビ。コツコツと走り続ける地味な格好良さが本当に好きでした。ブーツェンが去った後、黙々と走り続けるパトレーゼ。91年のメキシコはマンセルを抑え堂々の優勝!私の中ではベストレースだと思っています。どんなことがあっても今やるべきことに集中する。素晴らしい人生訓です。
パトレーゼ特集待ってました!たらればを言い出すとキリがないですが、実力があるにも関わらず環境に恵まれなかったのは動画を見ていて本人と同じくらい悔しく思いました…が、それでも走り続けたパトレーゼは偉大なドライバーやと思います!90年サンマリノと92年鈴鹿の優勝をもう一度見返したくなりました!
ヒュー・ジャックマンっぽい頼りがいやインテリジェンスを感じる面影ですよね。しかしオリベッティー・ブラバム、美しいですね。パトレーゼに良く似合います。
毎度です!そうそうカッコええですよね!
僕がリアルタイムで見ていた90年前後のパトレーゼのいう選手は落ち着いた雰囲気がする人物と思っていたのですが、観客の野次に応戦するパトレーゼの映像を見たことがありいろいろと苦労していたようですね。
そうなですよね。私も88年くらいからのF1デビューなのでほぼ落ち着いた感じのパトレーゼしか見ていないのですがたまに激高する姿が見え隠れするといいましょうか。モナコでガショーを小突いていたのは本当に面白かったです。
お疲れ様です.1990年にF1レースを,初めてテレビ中継で見たときの勝者がサンマリノGPのパトレーゼでした.セナ・プロしか知らない素人に,F1を教えてくれた様でした.
毎度です!ドライバーの新企画いいですねー。パトレーゼさんは長いF1生活の中、ピケ、チーバー、デ・アンジェリス、ワーウィック、デ・チェザリス、マンセル、ブーツェン、シューマッハと色々なドライバーとコンビを組んでたけど確執とかトラブルの話が無かったのはさすがですね。死亡事故で無罪になるまで辛い期間を耐えてブラバム時代は上向きになってきたけどアルファロメオでまた不遇の時代を過ごしたけどブラバムに復帰してからウィリアムズ入りしてから本領発揮しましたね。マシン開発にも長けて、予選でも光る速さを見せてましたね。ベネトン時代は少し寂しかったですが、、、。87年にアデレードで鈴鹿でクラッシュしたマンセルに変わりウィリアムズホンダにも乗ってましたね。地味といわれてましたが、個人的には好きなドライバーでした!
F1を離れると、鉄道模型のコレクターとしても有名ですよね。
パトレーゼはゴードン・マーレイ変態車の実験台にされていた印象が強いですねえ
パトレーゼにスポットを当ててくれて、ありがとうございます。もう感無量っす。あ〜パトレーゼ〜
パトレーゼさん!F1史には欠かせない名ドライバー!
パトレーゼ、良いドライバーでしたね。鉄道模型が趣味っていうところが、妙に親近感が湧きました^ ^
F1界の鉄人、流石に多くのストーリィがパトレーゼにはありますネ。コメの方にもあるように、鉄オタというのも面白いです。スキーのテクニックも一級品で、プロにも成れたのではとも言われてますしネ。92年の鈴鹿、パトレーゼ最後の美酒は、鉄人の意地をみた気がしました!
3:43 ジョーンズのタイトルは1980年ですな。81年はピケ。
私もそれ思いました。
これは失礼いたしました。やってしまいました。トホホ。
主様。ご無沙汰しております。さて、スキーとサッカーの腕はプロ級の最強の2ndドライバーことリカルドさん。89から抽選による、オンボード全戦搭載された時、パートナーの振り向けばのティエリーさんと同様に特にシフトダウンの「クセ!」が凄かった。やたらレブに当って良くエンジン&ミッションが壊れないな〜と思っていたら・・・ソレに起因するトラブル出てましたね。特にティエリーさんはやたらミッション壊してたイメージが。最後に93シーズン前のリカルドさんは久々のMTでエストリルのテスト中に何故かスピン連発してました。恐らく、セミオートマに慣れすぎてからのMTでのシフトダウン時にシフトロック?したのかな?長々とすいませんでした。
アクティブサス全盛のウィリアムズでの、ベルギーグランプリでオールージュを6速でかけ上がるレッド5に対しパトレーゼは5速でクリアしていったのを思い出しました。アンダーステアーをねじ伏せて走るマンセル、オーバーステアを手なづけて走るパトレーゼでは思うにハイテクマシーンの挙動や乗り味に慣れなかったんでしょうね。ハイテク禁止が早いまたは、ハイテクの到来が遅かったら、もっと活躍出来たかもですね。それでも年間16戦時代で200戦以上は立派。パトレーゼ、メチャクチャ視力がイイんでよね。中村良夫さんのインタビュー本でとあるレーサーが「レーサーの生命線は目だよ視力だよ」って読んだを思い出しました。確かジェームスハントやったかと記憶してます。因縁。
5:35 「後方映像の分析とパトレーゼのタイヤに接触痕がない」 これらに加えもう2つ証拠となった観客がスタート直後の事故現場直前に撮影した(パトレーゼがハントより前へ出てる)写真が(伊)AUTOSPRINT 1978.10.3号の表紙(後にイタリア国内の新聞にスタート直後、前方から撮影された写真も掲載)になったのは、イタリア人のパトレーゼにとって大きく助けられたことと思います。ちなみにその新聞の見出しは「ピーターソンの死 パトレーゼとレステリス('78イタリアGP・レースディレクター)のせいではなく≪本当は≫ハントのせいだ」と記載されてたそうです。真実を世に明かされてもパトレーゼを批難し続け、ピーターソン家に謝罪もなく死んだハントは人間として終わってますし、ロニー死後の妻バーバラの悲劇を知るだけに何年経とうと許せないです。
うーん、辛いですな。辛すぎます!
そもそも、ハントみたいなアル中&ジャンキーって今だったらメディカルチェックでアウトだしw
お疲れ様です♪グランプリの変革期をこれほど長きに渡り第一線で生き抜いたドライバーの中では 間違いなく彼がピカイチでしょう。ピーターソンの事故はホントに気の毒でした。ハントやマンセルなど英国人ドライバーに時折見られる、自己の責任は絶対に認めない 所謂「ブリット気質」は見ていて呆れる思いでした(ある意味グランプリドライバーには必要な要素なんですが)。この事故を含め、荒さや鼻っ柱の強さを周囲から強烈に非難された若き日の出来事は、彼の人格形成・グランプリ界での処世術に大きな影響を与えたと思われます(若い頃の彼は後のセナとシューマッハを足して2で割ったような生意気で危険なルーキーだったのかもw)。初期のレースキャリアにおけるウィリアムズとのすれ違いは不運だった反面、ブラバム時代のバーニーとの絆(同じユダヤ系である事も含め)を構築出来た点を考えると、結果的には幸運だったかも知れませんね、バーニーとの関係性なくして「200戦錬磨」の鉄人は誕生しなかったかもw 引退後しばらくしてのインタビューで「93年の恐いモノ知らずのミハエルを見ていると、ルーキーの頃の自分を見てるみたいでヒヤヒヤした」と発言してましたね。彼自身、世代交代の波を感じながらの引退だったのかも知れませんね。今回も素晴らしい動画ありがとうございました☆
オロロ~😢泣けます。Takashiさん最高です。ありがとうございます。デビュー当初のパトさんはそんなに荒かったんですね~。文献を読むだけだと想像できませんでしたが(セナ+シュー)÷2=パト。面白い公式になりますなwすごくよくわかりました。ありがとうございます。バーニーとパトさんの関係のように一生懸命に仕事をしていると誰かがちゃんと見てくれていてチャンスが与えられる。なんかビジネスマンの基本みたいなところに重なる感じがします。Takashiさん、ジェームズハントって私は現役時代知らないのですがRUSHを見た限り少々の悪の強さはあってもそこまで悪い人には見えなかったのですが実際はかなりサイコパス系のお方だったんですかね?文献あさって行くとそちら側がかなり見えてくるんです。
@@FormulaIneChannel 確かにハントは評価(好き嫌い)が真っ二つに別れるドライバーですね。彼に比べるとマンセルなんて可愛いモノですw 彼は貴族階級ではないにしても 極めて裕福なジェントリー階級の出身ですが、金銭的なサポートは一切受けずに腕一本でF1に上り詰めた経験上、独特な価値観・哲学があったのかも知れませんね。そういった点(考え方・生い立ち・言動)は後年のピケと非常に似通ってますね、いや、確実にピケより偏屈かなw 後年彼が解説者として、人脈やメーカーの紐付きでF1のシートに収まったドライバーに対する痛烈な批判も何となく解る気がします。要するに マシン性能やチーム規模に頼らない「ドライバー至上主義」という経験則で生き抜いてきた人だったんでしょうね。逆に考えるとパトレーゼへの容赦のない非難や、中嶋さんに対する過小評価は とんだとばっちりだった訳ですね(因みに中嶋さんや日本に対する彼の否定的な態度は、76,77年の日本GP開催時の強引な運営姿勢や準備不足に対する不満が原因ではないか、と後年 森脇さんが述べてました)。しかしながら彼は間違いなく、恐らくこの先 グランプリには2度と現れないであろう孤高で偉大な「感覚派」ワールドチャンピオンであった事に変わりはないと思いますよ♪早朝から長文申し訳ないですw
@@takashiichiki8942 ご返信ありがとうございます。なるほど~勉強になります。ドライバーのあるべき姿は自分ということですね。強烈な個性ですね。孤高で偉大な感覚派ワールドチャンピオンとは恐れ入りました。これはF1バイオグラフィーのネタになる可能性が大ありですね!じっくり勉強してみます!Takashiさん、いつも本当にありがとうございます。
ハントとマンさんは犬猿だったみたいだけどね。
素晴らしい企画ですね!イネムリさんのサービス精神に脱帽です!😂パトレーゼの名前は‘77年頃のF2の記事で写真とともに見て知りました。当時はシェヴロンに乗っていました。F2で日本に来た時もいつもシェヴロンだった(シャドウ、アロウズで一緒だったデザイナーのトニー・サウスゲートがシェヴロンのデザインをするなど縁が深かった)‘77年にF1で日本に来た時「この人デヴューしたばかりで大学生だというけど速いな」と思い応援するようになりました(ちなみに一番好きだったのはジャック・ラフィット)TVニュースでその年のスウェ―デンのアンデルストープにて2位(アロウズFA1/コスワース)だったことを伝える際、アナウンサーが「パトレス」と発音していたのを今でも覚えています。
毎度です。ありがとうございます。70年代のF1を現役で味わっておられたのですね!うらやましい!
度々、失礼します。そして、この企画の1回目がまさかのパトパトとは・・・本当に目の付け所が流石です!!当時の四天王はメジャー過ぎ、その後のミハエルやミカもメジャー過ぎる。その隙間のパトレーゼとは笑鉄道マニアの一面もあるパトレーゼ。次はワーウィック、バーガー、カペリ辺りですかね!?楽しみしてます!!
お疲れ様です。若手時代のパトレーゼのドライビングの荒さをリアルタイムで見たことはありませんでしたが、とある書籍で「若い頃のパトレーゼは『なにわナンバー』の車のように荒かった」と評されてて驚いたことを覚えてます。グランプリの年間開催数が増えた現在は200戦出場を達成するドライバーも珍しくなくなりましたが、パトレーゼの現役時代はせいぜい年間15~6戦ほどだったことを考えると、F1初の200戦出場は大偉業と言えますね。
私もパトレーゼさんの若手時代は現役ではないので、いろいろ調べていくうちにトレビア状態になっていました!今思えばあの時代に世界を転戦するF1サーカス自体すごいことですよね。そう考えると1930年代から世界を転戦してるって更にすごいですな。当時は船でマシンを輸送していたってことですもんね。アルゼンチンとかまでもっていくって。
パトレーゼさん…いぶし銀な走りがカッコいいです😊そういえば、パトレーゼさんは96年にもウィリアムズのマシンに乗ったらしいですね(唐突に「今のF1乗りたい!」的な感じでw) チームもそれに応じてFW18を用意し、シルバーストンで走らせたらしいです(同年のイギリスGP予選5位に相当のタイム)…もし走っていたらと思うと、その走りに更に磨きがかかったのかもしれませんね😁長文失礼しました🙇
一発の速さは健在でも、二時間のレースではキツかったのでは?実際、現役最終年は体力低下による足の痙攣、ミスもあって、リタイアもありました
リカルド・パトレ-ゼ!のレプリカヘルメット持ってました✌️今でも、大事に🤗置いて有ります。
パトレーゼこそ、不遇のドライバーと言えるのでは?好きなドライバーの1人でした
最強のNo.2と言えばこの人だと今でも思ってるww
94年にアイルトンセナが亡くなった後、代役でオファーが来たけど、家族の反対もあってそのまま引退したって雑誌で読んだことがある気がします。もしパトレーゼがFW16をドライブしていたら、マシン開発が早く進んだでしょうか?
パトレーゼにとって気が楽だったのは89、90年だけだったかもしれないですね〜最初の頃は車が酷くて最後のほうも色々あったし
お疲れ様です。乗ったマシンはくさび型からウィングカー、ターボ車、ハイテクマシンまで。共に走ったドライバーはフィッティパルディ、ラウダ、ハントといった70年代のスターから、最後のチームメートは若き日の皇帝シューマッハとF1の歴史をなぞるようなF1キャリアですね。ところで、F1浪人中だった翌94年にセナの後釜としてウィリアムズからオファーが来たという話をきいたことがあるのですが本当のところはどうなんでしょうか?F1ストーリー’94ウィリアムズで楽しみにしております。(94年ウィリアムズは激動すぎてとんでもない長編になりそうですが頑張ってください!)復帰が実現していたらですが、ヒルとパトレーゼのコンビはあまりに渋すぎるような気がしますし、給油解禁のスプリント勝負で体力の衰えているパトレーゼさんでやはり厳しすぎますかね...?ウィリアムズFW18やホンダRA108でテストしていたみたいですが、まだまだ速そうですね笑さすがF1界の村田兆治といったところでしょうか笑
セナの後釜として、オファーがあったみたいですが、パトレーゼ自身が断ったみたいです在籍時代の経験から、もうウィリアムズには戻りたくなかったみたいです
パトレーゼの名前を覚えたのは77年のニュルF2でしたね。予選で2位のヨッヘンマス(リンクマスター)に2秒か3秒差つけてのポールで、えらい新人が出てきたと思ったですよ。でも予選でも決勝でもクラッシュして、速いけど荒いヤツなのかなとも感じたです。
自分はその後の鈴鹿GPですね。
個人的にパトレーゼというと、真っ先にパルマラートカラーのブラバムを思い出します。サーキットの狼のモナコF3篇にも出ていたけど、F1ドライバーとして意識したのはやっぱりタミヤから出ていたブラバムなんですよ。
なるほど~。大先輩ですな!私の印象はウィリアムズなのでwタミヤのブラバムはラジコンですな?!あれほしかったです。でも買ってもらえなかったです。まだ当時は6vのバッテリーでその後7.2vにアップデートされるんですよね。私はそのあたりからラジコンにドップリはまりタミヤRCカーグランプリを目指すのです!出てませんが…
@@FormulaIneChannel タミヤのBT50はラジコンとプラモデルと両方ありましたね。あの頃はちょうどブームの谷間の時期で、当時は同年代のF1の模型ってこれしかなかった気がします。BT50の前作がルノーRE20だし次作はウィリアムズFW11ですからね。
プラモデルもあったんですね~。それ欲しいですね。大人買いを。あぁ老眼でプラモデルは引退でした。トホホ。
@@FormulaIneChannel タミヤのプラモデルのBT50、今でも再販品が買えるようですよ。Amazonにも出てました。
ぬぬ!
パトレーゼを代表するマシンといえば(自分の中では)「FW13B」のイメージが強いですあのちょんまげインテークがたまらないです。プラモも作ったし
鉄道ファンでもあるパトレーゼラストシーズンのマシンカラーリングは末期色
うまい!
パトレーゼさんはまじめそうで好き。
セカンドドライバー人生でチャンピオンは難しかった印象がありますね‼️
78年の件初めて知りました。もしウイリアムズに入っていたら、全然違ったキャリアを積んでいたと思わずにいられません。2線級のアローズで光る走りを見せていましたし、あの頃のジョーンズになら速さでは引けを取らないと思ったからです。(81年の序盤戦で優勝できそうなレースがありました。ここで優勝できたらなとも思います)トップチームに入ったものの、チームメイトは前年チャンピオン、ネルソンピケ。少し各落ち感が否めませんでした。さすがに優勝はしましたが、少し物足りない感じがしましたし、こんなものかと思ったのも事実です。82年の件も初めて知りました。(今思えばロズベルグのほうが可能性があったかな)チャンピオンは無理としても、違ったキャリアを積んでいたと思います。不遇な時をすごしたのち、晴れてウイリアムズ入りしましたが、チームメイトも強敵で際立った成績を残せなかったような気がします。自分的にはアクティブサスのない91年がベストだったと思います。92年はマンセルとの差にちょっとガッカリしたものです。引き際は素晴らしかったと思います。自分的には若いころは速いが、とがっていた、でも自分を持っている。(精神的にも鉄人ですよね)そして、年を取るにつれ丸くなったといった感じです。16年間戦ってこれたのは、速いのはもちろん、人間的に素晴らしかったからだと思いたいです。ラストのシャドウでのドライビング、なんか感じるものがありました。
ジェームス・ハントがパトレーゼを槍玉に上げたのは知りませんでした。ラウダが、パトレーゼ魔女狩りの急先鋒だとばかり思ってました。ベテラン達が新人を押さえつけるのはF1に限らず、どの世界にもありますね?
毎度です!そうですよね〜。正直、このハントは中嶋さんへのディスりも凄かったようにちょっと異常差を感じでしまいました。
シャントと呼ばれた男だけにブーメラン発言ですね。
ハントさんはパトレーゼさんになんかあったのですかね?しかし引退して30年位も昔なのに昨日のようによみがえる❗「あれよあれよとゆうまに」が「アリヨーアリヨー、フィリップアリヨーとゆうまに」って脳が聞こえる(笑)BMWのエンジンが4気筒ってのが凄い❗エアロと低重心の為に寝かしてオフセットしてミッションも特殊にするとかゴードンさんって‼️次のドライバー特集は誰?ペリーマッカーシーかな?パトレーゼさんの鼻がノーズ感でカッコ良かった❗
ハントはちょっと差別的にところを持っていましたよね。中嶋さんに対してもかなり辛辣な意見を言っていました。中嶋さんは流石で我関せずでしたけども。
中嶋さんに辛辣的なのは聞いたことありますがハントさんでしたか❗
この人、シャドのトムプライスの事故死のあと、レンツォ―ゾルジの代わりにF-1デビュー1978年の南アフリカグランプリでは、トップ走行していたの、今でも覚えています。残念ながらリタイアでしたけど、たしか、生涯5勝でしたね。燻し銀の走り、懐かしいです。
ジョーンズと一緒にウイリアムズに行ってたら•••
お疲れ様です!新シリーズの第一弾がパトレーゼは素晴らしすぎます!当時では若くF-1に乗った為に最多出場回数が歴代トップになりましたよね。当時では驚異的ですよね。いろんな経験をされていたので、もう少し優勝さして上げたかってですが、アルボレートさんみたいに、最後のチームが… ではなくベネトンでまだまだ走れる状態での引退で良かったと思います。ウィリアムズチームに在籍中は最終戦が終わったらスタッフとレストランで奢るのが恒例だったみたいで、凄く良い人だと思ってしまいます。バリチェロに最多出場回数の記録を抜かれた時?ホンダF-1のマシンRA107をドライブしたり、ホンダに少し関わっていたのも好きな所ですね。ヘルメットカラーもシンプルでかっこいい!水泳は知らなかったですが、スキーはプロ並み!鉄道模型好きとF-1だけでない所も素晴らしいですね。次のドライバーも楽しみです。
毎度です。そうそうウィリアムズの最終戦後のパトさん主催のスタッフねぎらいバーティは暖かいエピソードですよね。マスコミからは給料が倍以上のマンセルさんがなぜそれをやらないんだってディスりの的にされてましたけどもw
ふと気づいた事だが、ジャッドエンジンに換装したウィリアムズ・FW11Cがない…。1988年に向けてジャッド・V8を搭載したウィリアムズ・FW11C…。パトレーゼさんがテストしていたような…?
毎度です。ないですよね。アローズも抜けてるところがありまして全車は出来ませんでした。体力の限界…力尽きてしまいました…
パトレーゼ息子が今年海外でGTレースデビューしてるんですよね、ロレンツォ パトレーゼでまだ16歳( ̄▽ ̄;)
鉄人パトレーゼ最高のセカンドドライバーだけどいぶし銀だった
アクティブサスが、マンセルにハマり過ぎてた説もあります(๑•᎑•๑)
鉄道オタクにして、しばらく現れなかったイタリア人ドライバー
動画作成お疲れさまです。そしてパトレーゼ特集ありがとうございます。移籍するチームの先々で苦難の連続ですね。やっと報われたと思ったウイリアムズでもマンセルがセッティングの情報を共有してくれず困っていたという・・・。苦難に負けずナンバー2として仕事に徹する姿は渋くて最高にカッコいいです。
ありがとうございます!パトレーゼの渋さ。今のF1にはそんな人いない?ですかね~
当時優勝したときに流す曲としてパトレーゼさんのテーマがあって8センチCDで売っていて今でも持ってる😅2回ぐらいしかかかってないような?8センチCDもパトレーゼさんも懐かしいと思う歳になっちゃた(笑)蛇足優勝した時のテーマではベルガーさんのテーマがカッコ良かったと個人的には思うです
パトレーゼのテーマが流れたのは1992年鈴鹿の1回だけでベルガーのテーマは同年のモントリオールとアデレードの2回です。
連続出場最多の鉄人と言ったらパトレーゼしかいなかったが、セナの死以降長年F1から離れていたらいつの間にかバリチェロが抜いちゃっててビックリした。
鉄人・パトレーゼは、生粋の鉄道ファンであり、自宅には鉄道関係の模型が沢山あるとか無いとか
1970年代に日本の漫画雑誌に連載されていた村上もとか著「赤いペガサス」のなかでは速いが鼻っ柱の強いルーキーとして描かれていましたね(当たり前だけど)。それからほんとうに紆余曲折がありましたね。動画内で触れられてた1978年のモンツァ、1982年の波乱のモナコ初優勝、長年いたブラバムの撤退等々、日本でF1ブームが来た頃にはすっかり苦労が顔に滲み出るようになって苦労の中身を知らないアナウンサーに200戦練磨とか言われてねえ。
94年シーズン、実はパトレーゼは引退はしていませんでしたが、シートが無くなった状態で浪人でした。ウィリアムズでセナが事故で死亡したため、急遽、代役のオファーが来ましたが、そのセナの死亡を理由に断り、引退したそうです。81年チャンピオンはピケですよ。80年がアラン・ジョーンズです。
F1恒例アルペンスキーの圧倒的チャンピオン
2度目のコメントすみません。山岸大(ゆたか)さんの動画でパトレーゼのロングインタビューがアップされています。ご存知でしたでしょうか。とても興味深い内容です。是非!既にご覧になられていたらすみません。
あれだけ長くパトレーゼさんがF1で走っていた理由がよく分かる話しでした。ウィリアムズに早く乗っていたら違うキャリアになっていたかも知れませんねー、どうでしょうね。
ですよね~。1978年にウィリアムズに移籍していたらどうなっていたか?もっと速くなっていたかもしれませんね。
新たなる試みですね。昔、日テレが放送してた、関口宏の知ってるつもりみたいです。
アローズ、ブラバムの頃から、好きなドライバーでした。ジョーンズさんとの話し合いなど、浅めに深堀、お見事!ありがとう御座います
マンセルとのコンビよりブーツェンとのコンビが好きだったよ振り向けばブーツェンが振り向けばパトレーゼ!
パトレーゼほど長い期間活躍しながらも、どことなくチャンピオン争いに混ざれなかったドライバーはいなかったですが、愛されるドライバーでしたよね。そして、パトレーゼがセナのように自己を押して、このマシンじゃ勝てない。このエンジンじゃ勝てないとか言うようなら、きっと2回くらいチャンピオンになれてたような速さと、忍耐力あったんじゃないかな?と思ってます。そこは、デイモン・ヒルにも言えますがwww
アロウズから翌年にウィリアムズに移籍してたら、80年のワールドチャンピオンはパトレーゼだったかも知れませんね。
うろ覚えなんですが、鈴鹿まで自家用ジェツトとかで来るドライバーもいる中でこっそり新幹線に乗って来たって報道が当時あったような。なんかの番組だったかニュースだったか忘れたのですが資料あります?ちなみにTI英田の時は近隣の湯郷温泉で露天風呂に入ったとか入らなかったとか。。。あれウイリアムズチームのスタッフのことでしたっけ?なにせ30年前の話なので記憶が(笑)
あはは。パトレーゼさんらしいエピソードですが私も全然覚えてませんぞ!自身の30年前の記憶もかなり危ないので…(´∀`*)ウフフ
怪しい記憶なうえに、その年か不明なのですが…英田でラルースチームが温泉に泊まってましたから、他のF1関係者も入ってるんじゃないですかね(推測)。
@@逸津聡 95年前後にバイクのレースで英田に通ってた時にピットでの世間話で聞いた話なのであやふやなのですが少なくともラルースチームは湯郷に泊ってたんですね!当時はお金も無くて車中泊専門でしたがいつかF1チームみたく湯郷温泉で豪遊してやるぞ!っと思いつつ歳だけとってしまいました(笑)
1991年FW14(アクティブ無し)はパトレーゼ向き、1992年FW14B(アクティブ有り)はマンセル向き。ここが運命の分かれ道でしたね。1993年マンセルは、フェラーリ時代チームメイトだったプロストとは組みたくないと言って契約更新せずにウィリアムズを出て行きましたが(1994年には亡きセナの代わりに帰って来ましたが)パトレーゼはどうだったのでしょうか?プロストとのコンビでFW15Cをドライブする可能性は無かったのでしょうか?シューマッハ独裁体制のベネトンに移籍するとは?
毎度です。91年~93年はウィリアムズが飛躍した年になりましたがフランクがトップチームとしてのドライバーの扱い方ができていない印象ですかね。とにかく安い年俸でって頭があったようなので。
@@FormulaIneChannel 様お世話になります。いつも楽しく拝見させて頂いております。色々なチームを渡り歩いたパトレーゼですが、1番居心地良かったのは何処のチームだったのでしょうかね?最強マシンをドライブ出来たウィリアムズかとも思ったのですが2期に渡って在籍したブラバムでは無かったかと?エースドライバーのピケと組んでいた第1期よりも、ピケがウィリアムズに移籍して去った後のエースドライバー昇格した第2期でしょうか?大物世界王者クラスのドライバーと組んでもまったく気後れの無いパトレーゼは、No.2ドライバーと言うよりもNo.1ドライバーに限りなく近いNo.1.5ドライバーって感じですね。あのマンセルもパトレーゼを恐れて警戒した節がある?そんなパトレーゼとマンセルの2人を同時に解雇してまでプロストとセナを獲得したかったフランク・ウィリアムズ卿は恐ろしくて、したたかな人物でした。
@@中村佳己-t4r 一番居心地が良かったのはF1初年度のシャドウだったかもしれませんね。何も考える必要がなかったかと。
@@FormulaIneChannel 様シャドウ、セオドール、エンサイン、懐かしいチーム名が並ぶ?やはりF1デビューにはプレッシャーの掛からない名門では無いチームの方が安心出来る?1977年シャドウでF1デビュー果たしたパトレーゼが、次に中堅チームのアローズに移籍して、あの弾丸ノーズで車全体をウイングに見立てたアローズA2と言う究極ウイングカーをドライブしていたのが忘れられません。
93年は、プロストが契約する直前まで、セナとどちらが契約するんだ?という政治的駆け引きが激しく行われていました。結局、プロストに決まりましたが、気難しいと言われるプロストのパートナー選びが難航し、フランクはすでに一旦チームからリリースし、ベネトンとの契約が報道されていたパトレーゼを再度口説き始めました。当時のウィリアムズは「異次元」と言われた一強状態の車だったため、パトレーゼファンは「今年もあの車に彼が乗れるかも!」と思ったのですが、パトレーゼはベネトンとの契約を優先し、移籍を選びました。この年(93年)のベネトンはトップ4チームで唯一セミオートマを搭載してなかったため、ウィリアムズでセミオートマに慣れていたパトレーゼは苦戦し、ハンガリーの2位が最高位。おまけにチームメイトは飛ぶ鳥を落とす勢いのシューマッハだったため、余計に見劣りがしてしまい、彼にとっては不完全燃焼の最終シーズンでしたね。しかし、生き方や走りが今でも自分にとってのNo.1ドライバーです。
パトレーゼは後年どのチームと契約するときも「フェラーリからオファーがあればそちらへ行く」という文言を契約書に入れていたという話を聞いたことあるけど本当ですか?
ロニー事故死のアレってそもそもスタートシグナルのタイミングも変だったようですね、確かフォーメーションラップで後方が着く前にブルーになってしまったはずです。ケースは微妙に違いますが富士グラチャンの風戸&鈴木死亡事故(1974年)を連想してしまいますね。
リカルド、クレイ・レガゾーニ、トム・ワトソン ベストセカンドだった。
お疲れ様です┏○ペコッなぜ?パトレーゼを好きになったのか?1989年から兄の影響で、見てましたが、あのウィリアムズFW12のカラーリングとイケメンパトレーゼに惚れたのかなぁ?好きなF1ドライバーわ?と聞かれるとパトレーゼとジル・ビルヌーブ(同率1位w)F1苦労人!もう、ハングリーなF1ドライバーは、あの時代が、最後でしょうかねぇ〜、、、次回!苦労人!ナイジェル・マンセルの巻w
ハントは自由奔放で好漢のように語られる事が多いようですが、私の印象では陰険な人 笑91年鈴鹿前に、今季を振り返るフジの番組でハントはパトレーゼの活躍を称賛するどころか、「こんな走りができるのなら今まで何をやっていたのか。僕が過去の彼のオーナーだったら、金を返してくれと言いたいよ。」この人はパトレーゼの無罪確定を認めるどころか、最後まで自分の否を認めず、パトレーゼに謝罪せす、とにかくパトレーゼを口撃したいのかと呆れましたよ。
この方のレーシングキャリアを綴るだけで、1冊の本を作る価値は充分にアリかと…。件の78年秋にはJAF鈴鹿F2GPで失敗作シェブロンB48に乗って、今は亡き国さんとトップ争いもしました。ちょうど現在発売中のF1速報スペインGP号、林信次先生の連載コラムでパトさん初優勝の82年モナコGPが触れられてますね。
毎度です。久しぶりにF1速報を買う理由が出来ました!ありがとうございます!
自分もF1速報ずっと買ってないな~最後に買ったの2004年のアメリカGP号だったかな?
よく覚えてますな!凄い!
ははは・・・ 飾ってあるんです佐藤琢磨の表彰台のやつ
@@yoshiookuda1721 あれも最高の瞬間でしたね~
ティフォシにとってはフェラーリとそのドライバーが全てだからねえ😅
エリオデアンジェリスが亡くなったのは1986年。
お疲れ様です。ブラバムまでの苦労で漸く報われると思ってウィリアムズ入り…ホンダを失ってジャッドエンジンとか…花は無くとも実力派…苦労を重ねたからこその『いぶし銀』な役どころのドライバーでしたね。
ウルル😭😭
スキーはジュニアのナショナルチームに所属していたと昔の総集編で見た記憶がありますが、水泳もだったのかと驚きです。90年から見始めたので、ベストレースは91年のメキシコかなと思っています。マンセルと真っ向勝負して実力で勝ったレースだと記憶してます。フランク・ウィリアムズはドライバーを大事にしない人だったので普通のチームならマンセルもパトレーゼも残留だったのでしょうが…ベネトンがセミATじゃなかったのは初耳でした。嫌いなアクティブサス、今更のMT、シューマッハスペシャルのマシン、93年の残念な成績の理由がわかりました。もっと勝てるドライバーだったと思いますし好きなドライバーでした。
フェラーリからの誘いはなかったんかな。。
ハントはチャンピオン獲得者だけど、パトレーゼは前年デビューのほぼ新人でしたからね。F1でのキャリアの差で、周りがハントに乗せられてしまったのでしょうか。
ハントは良くも悪くもスリザリンってイメージがある。閉鎖的なF1村の根本にいる感じ。
そういう意味では、パトレーゼは間違いなくレイブンクローだろうなあ
@@Railton-bb いい例えですな!アハハ
昔は「ロニー・ピーターソン事故」の原因作った奴として極悪人扱いでしたね!┐('~`;)┌
昔からセカンドドライバーに心惹かれる自分がいるんです。まさに鉄人職人パトレーゼさんでした!
83年のイモラが相当堪えたみたいな事を聞いた事があります
終盤、フェラーリのタンベイをパスしてトップに立ったのも束の間のクラッシュ
首位を奪還したフェラーリには拍手喝采が巻き起こった一方で、同じく母国を走るパトレーゼには嘲笑の嵐だったそうです
母国でこれはきついですよ…
大好きなパトレーゼさんの動画ありがとうございました!私はパトレーゼさんのファンになったのは1987年のメキシコグランプリで3位表彰台に上がったレースからです。その年の最終戦からウィリアムズに移籍し毎年活躍する姿を見続けられて幸せでした、しかし改めて日本でテレビ中継が始まる以前は苦難の連続だったのも知ることが出来てよかった。本当にありがとうございました!パトレーゼさんは私の永遠のヒーローです!
パトレーゼのヘルメットデザインは、秀逸!
当時の視聴者ウケする派手さはなかったが(セナとかマンセルみたいな物凄いスター性、カリスマ性)、いいドライバーでした。
91年のメキシコがよかったですよ私はやはり。
パトレーゼは1987年最終戦
鈴鹿でケガをしたマンセルの代わりに
ウィリアムズFW11B・ホンダに乗りましたね。
スキーと電車が大好きなイタリア人F1レーサーでした。
毎度です。パトレーゼを取り上げて頂きありがとうございます(*^^*)
二百戦錬磨の鉄人パトレーゼ、古舘語録の中でも良く使われたフレーズと記憶しています。どこか日本人の琴線に触れる、味のある古き良き職人ドライバーでした。
キター!!パトレーゼ!
出走回数257!一回も予選落ちがないとか何気にズゴイ!
ウィリアムズ時代はチームの為に走り、広報のアン・ブラッドショーだったかな?雑誌の取材で素敵なドライバーは?と聞かれてリカルド パトレーゼと答えてた記事があったな
ドライバー中心の、レースストーリーは
本来のF1の姿であり、楽しめました。
また続編の投稿を、お願いします。
これからも、頑張って下さい!
まだTBSでF1放送していた頃の82年モナコ。大荒れのレース終盤を制したパトレーゼの記憶が甦ります。
90年サンマリノでの久々の優勝
はテレビで見ていて感動した。
初めて拝見しました!最も敬愛するF1ドライバーのパトレーゼさんをこんなに特集してくださるなんて感無量です!リアル「オレ様列伝」を見ているようでした(^^)。
92年日本GPの表彰台は、いぶし銀ドライバー好きの私にとっては脳汁出まくりの興奮度です♪。3人とも名セカンドドライバーだし、赤・青・黄でサンバルカンみたいで笑、もう最高でした❕
おっご覧いただきありがとうございます😊サンバルカンとは懐かしいですな!
動画ありがとうございます✨イモラの件、本当に気の毒としか言いようがないですね。(ハントにはがっかり)それでもめげなかったメンタルの強さには尊敬します。鉄人と言われる所以はここにもあるんですね。89年のセナが急にお子ちゃまに見えてきた。
F1を見始めた90年、セナプロにも惹かれましたが何故か気になるブーツェン、パトレーゼのウィリアムズコンビ。コツコツと走り続ける地味な格好良さが本当に好きでした。ブーツェンが去った後、黙々と走り続けるパトレーゼ。91年のメキシコはマンセルを抑え堂々の優勝!私の中ではベストレースだと思っています。
どんなことがあっても今やるべきことに集中する。素晴らしい人生訓です。
パトレーゼ特集待ってました!
たらればを言い出すとキリがないですが、実力があるにも関わらず環境に恵まれなかったのは動画を見ていて本人と同じくらい悔しく思いました…が、それでも走り続けたパトレーゼは偉大なドライバーやと思います!
90年サンマリノと92年鈴鹿の優勝をもう一度見返したくなりました!
ヒュー・ジャックマンっぽい頼りがいやインテリジェンスを感じる面影ですよね。
しかしオリベッティー・ブラバム、美しいですね。
パトレーゼに良く似合います。
毎度です!そうそうカッコええですよね!
僕がリアルタイムで見ていた90年前後のパトレーゼのいう選手は落ち着いた雰囲気がする人物と思っていたのですが、観客の野次に応戦するパトレーゼの映像を見たことがありいろいろと苦労していたようですね。
そうなですよね。私も88年くらいからのF1デビューなのでほぼ落ち着いた感じのパトレーゼしか見ていないのですがたまに激高する姿が見え隠れするといいましょうか。モナコでガショーを小突いていたのは本当に面白かったです。
お疲れ様です.
1990年にF1レースを,初めてテレビ中継で見たときの勝者がサンマリノGPのパトレーゼでした.
セナ・プロしか知らない素人に,F1を教えてくれた様でした.
毎度です!
ドライバーの新企画いいですねー。パトレーゼさんは長いF1生活の中、ピケ、チーバー、デ・アンジェリス、ワーウィック、デ・チェザリス、マンセル、ブーツェン、シューマッハと色々なドライバーとコンビを組んでたけど確執とかトラブルの話が無かったのはさすがですね。死亡事故で無罪になるまで辛い期間を耐えてブラバム時代は上向きになってきたけどアルファロメオでまた不遇の時代を過ごしたけどブラバムに復帰してからウィリアムズ入りしてから本領発揮しましたね。マシン開発にも長けて、予選でも光る速さを見せてましたね。ベネトン時代は少し寂しかったですが、、、。
87年にアデレードで鈴鹿でクラッシュしたマンセルに変わりウィリアムズホンダにも乗ってましたね。地味といわれてましたが、個人的には好きなドライバーでした!
F1を離れると、鉄道模型のコレクターとしても有名ですよね。
パトレーゼはゴードン・マーレイ変態車の実験台にされていた印象が強いですねえ
パトレーゼにスポットを当ててくれて、ありがとうございます。もう感無量っす。あ〜パトレーゼ〜
パトレーゼさん!F1史には欠かせない名ドライバー!
パトレーゼ、良いドライバーでしたね。
鉄道模型が趣味っていうところが、妙に親近感が湧きました^ ^
F1界の鉄人、流石に多くのストーリィがパトレーゼにはありますネ。コメの方にもあるように、鉄オタというのも面白いです。スキーのテクニックも一級品で、プロにも成れたのではとも言われてますしネ。92年の鈴鹿、パトレーゼ最後の美酒は、鉄人の意地をみた気がしました!
3:43 ジョーンズのタイトルは1980年ですな。81年はピケ。
私もそれ思いました。
これは失礼いたしました。やってしまいました。トホホ。
主様。
ご無沙汰しております。
さて、スキーとサッカーの腕は
プロ級の最強の2ndドライバーこと
リカルドさん。
89から抽選による、オンボード
全戦搭載された時、
パートナーの振り向けばの
ティエリーさんと同様に
特にシフトダウンの「クセ!」が
凄かった。やたらレブに当って
良くエンジン&ミッションが
壊れないな〜と思っていたら・・・
ソレに起因するトラブル出てましたね。
特にティエリーさんはやたら
ミッション壊してたイメージが。
最後に93シーズン前の
リカルドさんは久々のMTで
エストリルのテスト中に
何故かスピン連発してました。
恐らく、セミオートマに
慣れすぎてからのMTでの
シフトダウン時にシフトロック?
したのかな?
長々とすいませんでした。
アクティブサス全盛のウィリアムズでの、ベルギーグランプリでオールージュを6速でかけ上がるレッド5に対しパトレーゼは5速でクリアしていったのを思い出しました。
アンダーステアーをねじ伏せて走るマンセル、オーバーステアを手なづけて走るパトレーゼでは思うにハイテクマシーンの挙動や乗り味に慣れなかったんでしょうね。
ハイテク禁止が早いまたは、ハイテクの到来が遅かったら、もっと活躍出来たかもですね。それでも年間16戦時代で200戦以上は立派。
パトレーゼ、メチャクチャ視力がイイんでよね。中村良夫さんのインタビュー本でとあるレーサーが「レーサーの生命線は目だよ視力だよ」って読んだを思い出しました。
確かジェームスハントやったかと記憶してます。因縁。
5:35 「後方映像の分析とパトレーゼのタイヤに接触痕がない」
これらに加えもう2つ証拠となった観客がスタート直後の事故現場直前に撮影した(パトレーゼがハントより前へ出てる)写真が(伊)AUTOSPRINT 1978.10.3号の表紙(後にイタリア国内の新聞にスタート直後、前方から撮影された写真も掲載)になったのは、イタリア人のパトレーゼにとって大きく助けられたことと思います。
ちなみにその新聞の見出しは
「ピーターソンの死 パトレーゼとレステリス('78イタリアGP・レースディレクター)のせいではなく≪本当は≫ハントのせいだ」と記載されてたそうです。
真実を世に明かされてもパトレーゼを批難し続け、ピーターソン家に謝罪もなく死んだハントは人間として終わってますし、ロニー死後の妻バーバラの悲劇を知るだけに何年経とうと許せないです。
うーん、辛いですな。辛すぎます!
そもそも、ハントみたいなアル中&ジャンキーって今だったらメディカルチェックでアウトだしw
お疲れ様です♪グランプリの変革期をこれほど長きに渡り第一線で生き抜いたドライバーの中では 間違いなく彼がピカイチでしょう。ピーターソンの事故はホントに気の毒でした。ハントやマンセルなど英国人ドライバーに時折見られる、自己の責任は絶対に認めない 所謂「ブリット気質」は見ていて呆れる思いでした(ある意味グランプリドライバーには必要な要素なんですが)。この事故を含め、荒さや鼻っ柱の強さを周囲から強烈に非難された若き日の出来事は、彼の人格形成・グランプリ界での処世術に大きな影響を与えたと思われます(若い頃の彼は後のセナとシューマッハを足して2で割ったような生意気で危険なルーキーだったのかもw)。初期のレースキャリアにおけるウィリアムズとのすれ違いは不運だった反面、ブラバム時代のバーニーとの絆(同じユダヤ系である事も含め)を構築出来た点を考えると、結果的には幸運だったかも知れませんね、バーニーとの関係性なくして「200戦錬磨」の鉄人は誕生しなかったかもw 引退後しばらくしてのインタビューで「93年の恐いモノ知らずのミハエルを見ていると、ルーキーの頃の自分を見てるみたいでヒヤヒヤした」と発言してましたね。彼自身、世代交代の波を感じながらの引退だったのかも知れませんね。今回も素晴らしい動画ありがとうございました☆
オロロ~😢泣けます。Takashiさん最高です。ありがとうございます。デビュー当初のパトさんはそんなに荒かったんですね~。文献を読むだけだと想像できませんでしたが(セナ+シュー)÷2=パト。面白い公式になりますなwすごくよくわかりました。ありがとうございます。バーニーとパトさんの関係のように一生懸命に仕事をしていると誰かがちゃんと見てくれていてチャンスが与えられる。なんかビジネスマンの基本みたいなところに重なる感じがします。Takashiさん、ジェームズハントって私は現役時代知らないのですがRUSHを見た限り少々の悪の強さはあってもそこまで悪い人には見えなかったのですが実際はかなりサイコパス系のお方だったんですかね?文献あさって行くとそちら側がかなり見えてくるんです。
@@FormulaIneChannel 確かにハントは評価(好き嫌い)が真っ二つに別れるドライバーですね。彼に比べるとマンセルなんて可愛いモノですw 彼は貴族階級ではないにしても 極めて裕福なジェントリー階級の出身ですが、金銭的なサポートは一切受けずに腕一本でF1に上り詰めた経験上、独特な価値観・哲学があったのかも知れませんね。そういった点(考え方・生い立ち・言動)は後年のピケと非常に似通ってますね、いや、確実にピケより偏屈かなw 後年彼が解説者として、人脈やメーカーの紐付きでF1のシートに収まったドライバーに対する痛烈な批判も何となく解る気がします。要するに マシン性能やチーム規模に頼らない「ドライバー至上主義」という経験則で生き抜いてきた人だったんでしょうね。逆に考えるとパトレーゼへの容赦のない非難や、中嶋さんに対する過小評価は とんだとばっちりだった訳ですね(因みに中嶋さんや日本に対する彼の否定的な態度は、76,77年の日本GP開催時の強引な運営姿勢や準備不足に対する不満が原因ではないか、と後年 森脇さんが述べてました)。しかしながら彼は間違いなく、恐らくこの先 グランプリには2度と現れないであろう孤高で偉大な「感覚派」ワールドチャンピオンであった事に変わりはないと思いますよ♪早朝から長文申し訳ないですw
@@takashiichiki8942 ご返信ありがとうございます。なるほど~勉強になります。ドライバーのあるべき姿は自分ということですね。強烈な個性ですね。孤高で偉大な感覚派ワールドチャンピオンとは恐れ入りました。これはF1バイオグラフィーのネタになる可能性が大ありですね!じっくり勉強してみます!Takashiさん、いつも本当にありがとうございます。
ハントとマンさんは犬猿だったみたいだけどね。
素晴らしい企画ですね!イネムリさんのサービス精神に脱帽です!😂
パトレーゼの名前は‘77年頃のF2の記事で写真とともに見て知りました。当時はシェヴロンに乗っていました。F2で日本に来た時もいつもシェヴロンだった(シャドウ、アロウズで一緒だったデザイナーのトニー・サウスゲートがシェヴロンのデザインをするなど縁が深かった)‘77年にF1で日本に来た時「この人デヴューしたばかりで大学生だというけど速いな」と思い応援するようになりました(ちなみに一番好きだったのはジャック・ラフィット)TVニュースでその年のスウェ―デンのアンデルストープにて2位(アロウズFA1/コスワース)だったことを伝える際、アナウンサーが「パトレス」と発音していたのを今でも覚えています。
毎度です。ありがとうございます。70年代のF1を現役で味わっておられたのですね!うらやましい!
度々、失礼します。
そして、この企画の1回目がまさかのパトパトとは・・・本当に目の付け所が流石です!!
当時の四天王はメジャー過ぎ、その後のミハエルやミカもメジャー過ぎる。その隙間のパトレーゼとは笑
鉄道マニアの一面もあるパトレーゼ。
次はワーウィック、バーガー、カペリ辺りですかね!?
楽しみしてます!!
お疲れ様です。若手時代のパトレーゼのドライビングの荒さをリアルタイムで見たことはありませんでしたが、とある書籍で「若い頃のパトレーゼは『なにわナンバー』の車のように荒かった」と評されてて驚いたことを覚えてます。グランプリの年間開催数が増えた現在は200戦出場を達成するドライバーも珍しくなくなりましたが、パトレーゼの現役時代はせいぜい年間15~6戦ほどだったことを考えると、F1初の200戦出場は大偉業と言えますね。
私もパトレーゼさんの若手時代は現役ではないので、いろいろ調べていくうちにトレビア状態になっていました!今思えばあの時代に世界を転戦するF1サーカス自体すごいことですよね。そう考えると1930年代から世界を転戦してるって更にすごいですな。当時は船でマシンを輸送していたってことですもんね。アルゼンチンとかまでもっていくって。
パトレーゼさん…いぶし銀な走りがカッコいいです😊そういえば、パトレーゼさんは96年にもウィリアムズのマシンに乗ったらしいですね(唐突に「今のF1乗りたい!」的な感じでw) チームもそれに応じてFW18を用意し、シルバーストンで走らせたらしいです(同年のイギリスGP予選5位に相当のタイム)…もし走っていたらと思うと、その走りに更に磨きがかかったのかもしれませんね😁
長文失礼しました🙇
一発の速さは健在でも、二時間のレースではキツかったのでは?
実際、現役最終年は体力低下による足の痙攣、ミスもあって、リタイアもありました
リカルド・パトレ-ゼ!のレプリカヘルメット持ってました✌️
今でも、大事に🤗置いて有ります。
パトレーゼこそ、不遇のドライバーと言えるのでは?
好きなドライバーの1人でした
最強のNo.2と言えばこの人だと
今でも思ってるww
94年にアイルトンセナが亡くなった後、代役でオファーが来たけど、家族の反対もあってそのまま引退したって雑誌で読んだことがある気がします。
もしパトレーゼがFW16をドライブしていたら、マシン開発が早く進んだでしょうか?
パトレーゼにとって気が楽だったのは89、90年だけだったかもしれないですね〜
最初の頃は車が酷くて最後のほうも色々あったし
お疲れ様です。
乗ったマシンはくさび型からウィングカー、ターボ車、ハイテクマシンまで。共に走ったドライバーはフィッティパルディ、ラウダ、ハントといった70年代のスターから、最後のチームメートは若き日の皇帝シューマッハとF1の歴史をなぞるようなF1キャリアですね。
ところで、F1浪人中だった翌94年にセナの後釜としてウィリアムズからオファーが来たという話をきいたことがあるのですが本当のところはどうなんでしょうか?
F1ストーリー’94ウィリアムズで楽しみにしております。(94年ウィリアムズは激動すぎてとんでもない長編になりそうですが頑張ってください!)
復帰が実現していたらですが、ヒルとパトレーゼのコンビはあまりに渋すぎるような気がしますし、給油解禁のスプリント勝負で体力の衰えているパトレーゼさんでやはり厳しすぎますかね...?
ウィリアムズFW18やホンダRA108でテストしていたみたいですが、まだまだ速そうですね笑
さすがF1界の村田兆治といったところでしょうか笑
セナの後釜として、オファーがあったみたいですが、
パトレーゼ自身が断ったみたいです
在籍時代の経験から、
もうウィリアムズには戻りたくなかったみたいです
パトレーゼの名前を覚えたのは77年のニュルF2でしたね。予選で2位のヨッヘンマス(リンクマスター)に
2秒か3秒差つけてのポールで、えらい新人が出てきたと思ったですよ。
でも予選でも決勝でもクラッシュして、速いけど荒いヤツなのかなとも感じたです。
自分はその後の鈴鹿GPですね。
個人的にパトレーゼというと、真っ先にパルマラートカラーのブラバムを思い出します。
サーキットの狼のモナコF3篇にも出ていたけど、F1ドライバーとして意識したのはやっぱりタミヤから出ていたブラバムなんですよ。
なるほど~。大先輩ですな!私の印象はウィリアムズなのでwタミヤのブラバムはラジコンですな?!あれほしかったです。でも買ってもらえなかったです。まだ当時は6vのバッテリーでその後7.2vにアップデートされるんですよね。私はそのあたりからラジコンにドップリはまりタミヤRCカーグランプリを目指すのです!出てませんが…
@@FormulaIneChannel
タミヤのBT50はラジコンとプラモデルと両方ありましたね。
あの頃はちょうどブームの谷間の時期で、当時は同年代のF1の模型ってこれしかなかった気がします。BT50の前作がルノーRE20だし次作はウィリアムズFW11ですからね。
プラモデルもあったんですね~。それ欲しいですね。大人買いを。あぁ老眼でプラモデルは引退でした。トホホ。
@@FormulaIneChannel
タミヤのプラモデルのBT50、今でも再販品が買えるようですよ。Amazonにも出てました。
ぬぬ!
パトレーゼを代表するマシンといえば(自分の中では)
「FW13B」のイメージが強いです
あのちょんまげインテークがたまらないです。プラモも作ったし
鉄道ファンでもあるパトレーゼ
ラストシーズンのマシンカラーリングは末期色
うまい!
パトレーゼさんはまじめそうで好き。
セカンドドライバー人生でチャンピオンは難しかった印象がありますね‼️
78年の件初めて知りました。
もしウイリアムズに入っていたら、全然違ったキャリアを積んでいたと思わずにいられません。
2線級のアローズで光る走りを見せていましたし、あの頃のジョーンズになら速さでは引けを取らないと思ったからです。
(81年の序盤戦で優勝できそうなレースがありました。ここで優勝できたらなとも思います)
トップチームに入ったものの、チームメイトは前年チャンピオン、ネルソンピケ。少し各落ち感が否めませんでした。
さすがに優勝はしましたが、少し物足りない感じがしましたし、こんなものかと思ったのも事実です。
82年の件も初めて知りました。(今思えばロズベルグのほうが可能性があったかな)
チャンピオンは無理としても、違ったキャリアを積んでいたと思います。
不遇な時をすごしたのち、晴れてウイリアムズ入りしましたが、チームメイトも強敵で際立った
成績を残せなかったような気がします。
自分的にはアクティブサスのない91年がベストだったと思います。
92年はマンセルとの差にちょっとガッカリしたものです。
引き際は素晴らしかったと思います。
自分的には若いころは速いが、とがっていた、でも自分を持っている。
(精神的にも鉄人ですよね)
そして、年を取るにつれ丸くなったといった感じです。
16年間戦ってこれたのは、速いのはもちろん、人間的に素晴らしかったからだと思いたいです。
ラストのシャドウでのドライビング、なんか感じるものがありました。
ジェームス・ハントがパトレーゼを槍玉に上げたのは知りませんでした。
ラウダが、パトレーゼ魔女狩りの急先鋒だとばかり思ってました。
ベテラン達が新人を押さえつけるのはF1に限らず、どの世界にもありますね?
毎度です!そうですよね〜。正直、このハントは中嶋さんへのディスりも凄かったようにちょっと異常差を感じでしまいました。
シャントと呼ばれた男だけにブーメラン発言ですね。
ハントさんはパトレーゼさんになんかあったのですかね?
しかし引退して30年位も昔なのに昨日のようによみがえる❗
「あれよあれよとゆうまに」が「アリヨーアリヨー、フィリップアリヨーとゆうまに」って脳が聞こえる(笑)
BMWのエンジンが4気筒ってのが凄い❗エアロと低重心の為に寝かしてオフセットしてミッションも特殊にするとかゴードンさんって‼️
次のドライバー特集は誰?ペリーマッカーシーかな?
パトレーゼさんの鼻がノーズ感でカッコ良かった❗
ハントはちょっと差別的にところを持っていましたよね。中嶋さんに対してもかなり辛辣な意見を言っていました。中嶋さんは流石で我関せずでしたけども。
中嶋さんに辛辣的なのは聞いたことありますがハントさんでしたか❗
この人、シャドのトムプライスの事故死のあと、レンツォ―ゾルジの代わりにF-1デビュー1978年の南アフリカグランプリでは、トップ走行していたの、今でも覚えています。残念ながらリタイアでしたけど、たしか、生涯5勝でしたね。燻し銀の走り、懐かしいです。
ジョーンズと一緒にウイリアムズに行ってたら•••
お疲れ様です!新シリーズの第一弾がパトレーゼは素晴らしすぎます!当時では若くF-1に乗った為に最多出場回数が歴代トップになりましたよね。当時では驚異的ですよね。いろんな経験をされていたので、もう少し優勝さして上げたかってですが、アルボレートさんみたいに、最後のチームが… ではなくベネトンでまだまだ走れる状態での引退で良かったと思います。ウィリアムズチームに在籍中は最終戦が終わったらスタッフとレストランで奢るのが恒例だったみたいで、凄く良い人だと思ってしまいます。バリチェロに最多出場回数の記録を抜かれた時?ホンダF-1のマシンRA107をドライブしたり、ホンダに少し関わっていたのも好きな所ですね。ヘルメットカラーもシンプルでかっこいい!水泳は知らなかったですが、スキーはプロ並み!鉄道模型好きとF-1だけでない所も素晴らしいですね。次のドライバーも楽しみです。
毎度です。そうそうウィリアムズの最終戦後のパトさん主催のスタッフねぎらいバーティは暖かいエピソードですよね。マスコミからは給料が倍以上のマンセルさんがなぜそれをやらないんだってディスりの的にされてましたけどもw
ふと気づいた事だが、ジャッドエンジンに換装したウィリアムズ・FW11Cがない…。
1988年に向けてジャッド・V8を搭載したウィリアムズ・FW11C…。パトレーゼさんがテストしていたような…?
毎度です。ないですよね。アローズも抜けてるところがありまして全車は出来ませんでした。体力の限界…力尽きてしまいました…
パトレーゼ息子が今年海外でGTレースデビューしてるんですよね、ロレンツォ パトレーゼでまだ16歳( ̄▽ ̄;)
鉄人パトレーゼ
最高のセカンドドライバーだけどいぶし銀だった
アクティブサスが、マンセルにハマり過ぎてた説もあります(๑•᎑•๑)
鉄道オタクにして、しばらく現れなかったイタリア人ドライバー
動画作成お疲れさまです。そしてパトレーゼ特集ありがとうございます。移籍するチームの先々で苦難の連続ですね。
やっと報われたと思ったウイリアムズでもマンセルがセッティングの情報を共有してくれず困っていたという・・・。
苦難に負けずナンバー2として仕事に徹する姿は渋くて最高にカッコいいです。
ありがとうございます!パトレーゼの渋さ。今のF1にはそんな人いない?ですかね~
当時優勝したときに流す曲としてパトレーゼさんのテーマがあって8センチCDで売っていて今でも持ってる😅
2回ぐらいしかかかってないような?
8センチCDもパトレーゼさんも懐かしいと思う歳になっちゃた(笑)
蛇足
優勝した時のテーマではベルガーさんのテーマがカッコ良かったと個人的には思うです
パトレーゼのテーマが流れたのは1992年鈴鹿の1回だけで
ベルガーのテーマは同年のモントリオールとアデレードの2回です。
連続出場最多の鉄人と言ったらパトレーゼしかいなかったが、セナの死以降長年F1から離れていたら
いつの間にかバリチェロが抜いちゃっててビックリした。
鉄人・パトレーゼは、生粋の鉄道ファンであり、自宅には鉄道関係の模型が沢山あるとか無いとか
1970年代に日本の漫画雑誌に連載されていた村上もとか著「赤いペガサス」のなかでは速いが鼻っ柱の強いルーキーとして描かれていましたね(当たり前だけど)。
それからほんとうに紆余曲折がありましたね。動画内で触れられてた1978年のモンツァ、1982年の波乱のモナコ初優勝、長年いたブラバムの撤退等々、日本でF1ブームが来た頃にはすっかり苦労が顔に滲み出るようになって苦労の中身を知らないアナウンサーに200戦練磨とか言われてねえ。
94年シーズン、実はパトレーゼは引退はしていませんでしたが、シートが無くなった状態で浪人でした。ウィリアムズでセナが事故で死亡したため、急遽、代役のオファーが来ましたが、そのセナの死亡を理由に断り、引退したそうです。81年チャンピオンはピケですよ。80年がアラン・ジョーンズです。
F1恒例アルペンスキーの圧倒的チャンピオン
2度目のコメントすみません。
山岸大(ゆたか)さんの動画でパトレーゼのロングインタビューがアップされています。ご存知でしたでしょうか。
とても興味深い内容です。是非!
既にご覧になられていたらすみません。
あれだけ長くパトレーゼさんがF1で走っていた理由がよく分かる話しでした。
ウィリアムズに早く乗っていたら違うキャリアになっていたかも知れませんねー、どうでしょうね。
ですよね~。1978年にウィリアムズに移籍していたらどうなっていたか?もっと速くなっていたかもしれませんね。
新たなる試みですね。昔、日テレが放送してた、関口宏の知ってるつもりみたいです。
アローズ、ブラバムの頃から、好きなドライバーでした。ジョーンズさんとの話し合いなど、浅めに深堀、お見事!ありがとう御座います
マンセルとのコンビよりブーツェンとのコンビが好きだったよ
振り向けばブーツェンが振り向けばパトレーゼ!
パトレーゼほど長い期間活躍しながらも、どことなくチャンピオン争いに混ざれなかったドライバーはいなかったですが、愛されるドライバーでしたよね。そして、パトレーゼがセナのように自己を押して、このマシンじゃ勝てない。このエンジンじゃ勝てないとか言うようなら、きっと2回くらいチャンピオンになれてたような速さと、忍耐力あったんじゃないかな?と思ってます。そこは、デイモン・ヒルにも言えますがwww
アロウズから翌年にウィリアムズに移籍してたら、80年のワールドチャンピオンはパトレーゼだったかも知れませんね。
うろ覚えなんですが、
鈴鹿まで自家用ジェツトとかで来るドライバーもいる中で
こっそり新幹線に乗って来たって報道が当時あったような。
なんかの番組だったかニュースだったか忘れたのですが資料あります?
ちなみにTI英田の時は近隣の湯郷温泉で露天風呂に入ったとか入らなかったとか。。。
あれウイリアムズチームのスタッフのことでしたっけ?
なにせ30年前の話なので記憶が(笑)
あはは。パトレーゼさんらしいエピソードですが私も全然覚えてませんぞ!自身の30年前の記憶もかなり危ないので…(´∀`*)ウフフ
怪しい記憶なうえに、その年か不明なのですが…
英田でラルースチームが温泉に泊まってましたから、他のF1関係者も入ってるんじゃないですかね(推測)。
@@逸津聡 95年前後にバイクのレースで英田に通ってた時にピットでの世間話で聞いた話なのであやふやなのですが少なくともラルースチームは湯郷に泊ってたんですね!当時はお金も無くて車中泊専門でしたがいつかF1チームみたく湯郷温泉で豪遊してやるぞ!っと思いつつ歳だけとってしまいました(笑)
1991年FW14(アクティブ無し)はパトレーゼ向き、1992年FW14B(アクティブ有り)はマンセル向き。ここが運命の分かれ道でしたね。
1993年マンセルは、フェラーリ時代チームメイトだったプロストとは組みたくないと言って契約更新せずにウィリアムズを出て行きましたが(1994年には亡きセナの代わりに帰って来ましたが)
パトレーゼはどうだったのでしょうか?
プロストとのコンビでFW15Cをドライブする可能性は無かったのでしょうか?
シューマッハ独裁体制のベネトンに移籍するとは?
毎度です。91年~93年はウィリアムズが飛躍した年になりましたがフランクがトップチームとしてのドライバーの扱い方ができていない印象ですかね。とにかく安い年俸でって頭があったようなので。
@@FormulaIneChannel 様
お世話になります。いつも楽しく拝見させて頂いております。
色々なチームを渡り歩いたパトレーゼですが、
1番居心地良かったのは何処のチームだったのでしょうかね?
最強マシンをドライブ出来たウィリアムズかとも思ったのですが
2期に渡って在籍したブラバムでは無かったかと?
エースドライバーのピケと組んでいた第1期よりも、ピケがウィリアムズに移籍して去った後のエースドライバー昇格した第2期でしょうか?
大物世界王者クラスのドライバーと組んでもまったく気後れの無いパトレーゼは、No.2ドライバーと言うよりもNo.1ドライバーに限りなく近いNo.1.5ドライバーって感じですね。
あのマンセルもパトレーゼを恐れて警戒した節がある?
そんなパトレーゼとマンセルの2人を同時に解雇してまで
プロストとセナを獲得したかったフランク・ウィリアムズ卿は
恐ろしくて、したたかな人物でした。
@@中村佳己-t4r 一番居心地が良かったのはF1初年度のシャドウだったかもしれませんね。何も考える必要がなかったかと。
@@FormulaIneChannel 様
シャドウ、セオドール、エンサイン、懐かしいチーム名が並ぶ?
やはりF1デビューにはプレッシャーの掛からない名門では無いチームの方が安心出来る?
1977年シャドウでF1デビュー果たしたパトレーゼが、
次に中堅チームのアローズに移籍して、
あの弾丸ノーズで車全体をウイングに見立てたアローズA2と言う究極ウイングカーをドライブしていたのが忘れられません。
93年は、プロストが契約する直前まで、セナとどちらが契約するんだ?という政治的駆け引きが激しく行われていました。
結局、プロストに決まりましたが、気難しいと言われるプロストのパートナー選びが難航し、フランクはすでに一旦チームからリリースし、
ベネトンとの契約が報道されていたパトレーゼを再度口説き始めました。当時のウィリアムズは「異次元」と言われた一強状態の車だったため、
パトレーゼファンは「今年もあの車に彼が乗れるかも!」と思ったのですが、パトレーゼはベネトンとの契約を優先し、移籍を選びました。
この年(93年)のベネトンはトップ4チームで唯一セミオートマを搭載してなかったため、ウィリアムズでセミオートマに慣れていた
パトレーゼは苦戦し、ハンガリーの2位が最高位。おまけにチームメイトは飛ぶ鳥を落とす勢いのシューマッハだったため、
余計に見劣りがしてしまい、彼にとっては不完全燃焼の最終シーズンでしたね。しかし、生き方や走りが今でも自分にとってのNo.1ドライバーです。
パトレーゼは後年どのチームと契約するときも
「フェラーリからオファーがあればそちらへ行く」という文言を契約書に入れていたという
話を聞いたことあるけど本当ですか?
ロニー事故死のアレってそもそもスタートシグナルのタイミングも変だったようですね、確かフォーメーションラップで後方が着く前にブルーになってしまったはずです。ケースは微妙に違いますが富士グラチャンの風戸&鈴木死亡事故(1974年)を連想してしまいますね。
リカルド、クレイ・レガゾーニ、トム・ワトソン ベストセカンドだった。
お疲れ様です┏○ペコッ
なぜ?パトレーゼを好きになったのか?1989年から兄の影響で、見てましたが、あのウィリアムズFW12のカラーリングとイケメンパトレーゼに惚れたのかなぁ?好きなF1ドライバーわ?と聞かれるとパトレーゼとジル・ビルヌーブ(同率1位w)F1苦労人!もう、ハングリーなF1ドライバーは、あの時代が、最後でしょうかねぇ〜、、、
次回!苦労人!ナイジェル・マンセルの巻w
ハントは自由奔放で好漢のように語られる事が多いようですが、私の印象では陰険な人 笑
91年鈴鹿前に、今季を振り返るフジの番組でハントはパトレーゼの活躍を称賛するどころか、「こんな走りができるのなら今まで何をやっていたのか。僕が過去の彼のオーナーだったら、金を返してくれと言いたいよ。」
この人はパトレーゼの無罪確定を認めるどころか、最後まで自分の否を認めず、パトレーゼに謝罪せす、とにかくパトレーゼを口撃したいのかと呆れましたよ。
この方のレーシングキャリアを綴るだけで、1冊の本を作る価値は充分にアリかと…。件の78年秋にはJAF鈴鹿F2GPで失敗作シェブロンB48に乗って、今は亡き国さんとトップ争いもしました。
ちょうど現在発売中のF1速報スペインGP号、林信次先生の連載コラムでパトさん初優勝の82年モナコGPが触れられてますね。
毎度です。久しぶりにF1速報を買う理由が出来ました!ありがとうございます!
自分もF1速報ずっと買ってないな~
最後に買ったの2004年のアメリカGP号だったかな?
よく覚えてますな!凄い!
ははは・・・ 飾ってあるんです佐藤琢磨の表彰台のやつ
@@yoshiookuda1721 あれも最高の瞬間でしたね~
ティフォシにとってはフェラーリとそのドライバーが全てだからねえ😅
エリオデアンジェリスが亡くなったのは1986年。
お疲れ様です。
ブラバムまでの苦労で漸く報われると思ってウィリアムズ入り…ホンダを失ってジャッドエンジンとか…
花は無くとも実力派…苦労を重ねたからこその『いぶし銀』な役どころのドライバーでしたね。
ウルル😭😭
スキーはジュニアのナショナルチームに
所属していたと昔の総集編で
見た記憶がありますが、
水泳もだったのかと驚きです。
90年から見始めたので、
ベストレースは91年のメキシコかなと
思っています。
マンセルと真っ向勝負して
実力で勝ったレースだと記憶してます。
フランク・ウィリアムズは
ドライバーを大事にしない人だったので
普通のチームならマンセルもパトレーゼも
残留だったのでしょうが…
ベネトンがセミATじゃなかったのは
初耳でした。
嫌いなアクティブサス、今更のMT、
シューマッハスペシャルのマシン、
93年の残念な成績の理由がわかりました。
もっと勝てるドライバーだったと
思いますし好きなドライバーでした。
フェラーリからの誘いはなかったんかな。。
ハントはチャンピオン獲得者だけど、パトレーゼは前年デビューのほぼ新人でしたからね。
F1でのキャリアの差で、周りがハントに乗せられてしまったのでしょうか。
ハントは良くも悪くもスリザリンってイメージがある。閉鎖的なF1村の根本にいる感じ。
そういう意味では、パトレーゼは間違いなくレイブンクローだろうなあ
@@Railton-bb いい例えですな!アハハ
昔は「ロニー・ピーターソン事故」の原因作った奴として極悪人扱いでしたね!┐('~`;)┌